滋賀県大津の膳所にて産した陶器のこと。遠州七窯(遠州好み)の一つ。寛永年間(1624−43)膳所の城主石川忠総が小堀遠州の指導をうけて焼いた窯で一代で絶えた。茶入れの窯として知られている。その後、天明から文化の間(1781−1817)に再びお輿した。一説には、後に大津の近くにおこった「大江焼」「勢田焼」「国分焼」などの多くの窯を称して膳所窯とも言っている。
 いずれにしても、今日、膳所窯として最も珍重されているのは石川忠総が焼かせたものである。

※「膳所焼、宗甫(そうほ)様ごろに候。焼き手は一人一代なり」と「閑友記事」にある。また、「茶道筌蹄」には「膳所、近江、遠州時代なり。いまは窯なし。遠州公の好みにて焼きしなり。宗旦時代よりも古し」ともある。

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