足利時代・・・・・・利休の師である武野紹鴎の師の村田珠光の頃は、茶杓とは言わずに茶匙(ちゃひ又は、さひ)と言って、象牙で出来たもので、薬をすくう匙を使っていた。だが、当時象牙は、大変高価で、庶民には、手が出ず、珠光は、竹で代用する事にする。珠光は、無節で長め、又漆でふいいて光沢をだし象牙に、まぎらわした様で、長さや形がいろいろであった。又一会ごとに新しく作り、消耗品であった。利休の出現で、あらゆる道具に変化があり、茶杓と名もあらためられ、中節と定形づけらます。孫の宗旦になると、さらに、わびの精神を深め茶杓は、自作で竹生地を尊んだ。同時代、小堀遠州は、(きれいさび)といわれる様に、王朝趣味をもりこみ、工芸品としての、価値をたかめていく。

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